プロ野球選手の原点 ドラフト会議
プロ野球の試合が最初に行われたのが1936年です。あの雪の2.26事件の起きた年です。太平洋戦争中は試合開催が無かった不幸な時期もありましたが、戦後は一般庶民の娯楽として親しまれ、プロ野球人気は盛り上がりを見せます。しかし特定のチームに人気が集中、選手も人気のチームに入団するケースが非常に多く、次第にプロ野球チーム間の戦力不均衡が生まれ始めます。これをなんとか是正しないといけないと考えた西鉄球団社長、西の提案で、ドラフト会議なる制度が始まりました。これはアメリカンフットボールの制度を参考にしたということです。
こうして始まった第1回ドラフト会議は1965年に始まり、ドラフト1位という栄誉ある称号をもらった選手が鳴り物入りで入団していきます。なかでも第4回は後年、大活躍する選手の大豊作の年で、山本浩二、田淵幸一、有藤道世、星野仙一、山田久志、東尾修など、選手としても、監督・コーチとしても大活躍したメンバーが「ドラ1」で指名されました。最多1位指名数は8チームから指名された、野茂英雄です。
しかしながら、この制度も幾多の問題を引き起こし、江川事件、KKコンビの問題、裏金問題などがあり、結局選手の志望球団と球団側のお金の問題が原点で起こることであるため、年数を重ねる毎に改正されていきます。この制度はある分野からは、職業選択の自由に反するという指摘もあり、また現在は多少の人気不人気チームの傾向はあるにせよ、地域に根ざした固定ファンが各チームに多数存在する現在は、チームの人気・戦力はほぼ均衡しているのではないかとも言われています。また必ずしも1位指名された選手が活躍するわけでもありません。